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名古屋高等裁判所 昭和31年(ナ)1号 判決

原告 高田豊

被告 岐阜県選挙管理委員会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告代理人は、「昭和三十年十月七日に執行した岐阜県本巣郡北方町議会議員北方選挙区一般選挙における当選の効力に関する訴願に対して被告が昭和三十一年一月十三日にした裁決を取り消す。原告を右選挙における当選人とする。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、

(一)  昭和三十年十月七日執行の岐阜県本巣郡北方町議会議員北方選挙区一般選挙において、開票の際開票管理者が「タカハシシンイチ」と書いてある一票を無効と決定したため、原告は一三一票の得票で最下位当選人となり、候補者高橋新次は一三〇、二七票の得票でその次点者となつて落選し、北方町選挙管理委員会は同日その旨を決定して告示した。

右高橋新次ほか三名は、同月十四日右委員会に対し、「タカハシシンイチ」なる一票を無効としたことは承服できない、として同委員会の右決定に対し異議の申立をしたが、同委員会は、同年十一月十日に、右異議の申立は当選争訟としての要件を具備していない、という理由で、これが却下の決定をした。

そこで高橋新次ほか三名は同年十一月二十四日被告に対し訴願をしたところ、被告は、昭和三十一年一月十三日に、「タカハシシンイチ」なる一票は高橋新次に投票しようとしてその名を誤記したものと認め同人の有効投票と解するのが相当である、と判断して、北方町選挙管理委員会の右却下決定を取り消した上、前記選挙における原告の当選を無効とする旨の裁決をし、同日これを告示した。

右裁決は、その理由として、投票記載の氏名が正確には候補者の氏名を記載したものではないとしても、選挙人の意思がいかなる候補者に投票したかを推察しうる以上、これを有効投票として選挙人の意思を尊重することがすべての選挙を基調とする代表民主主義政治の根本理念に合致する、と説示して、昭和二十五年七月六日の最高裁判所判決を引用した上、(イ)「タカハシシンイチ」なる投票は、その文字の続き具合から見れば、候補者高橋省二、同高橋精一及び前記高橋新次の三名中高橋新次に最も近似し、更に語感から見ても、同人に極めて近似するので、選挙人が高橋新次を投票しようとする意思でその名を誤記したものであろうと推断することが妥当である、と述べ、(ロ)本委員会が本件開票立会人十名について開票当時の事情を聴取したところ、右十名中八名までが開票の際高橋新次の誤記であるとか同人の有効投票であるとか判断してその旨の意見を述べたという事実が明かになり、また本委員会が北方選挙区の任意抽出による有権者百人に個別的に面接して、「タカハシシンイチ」とは誰のことか、と尋ねて調査したところ、その七割までが、高橋新次のことであろう、と答え、一人だけが、高橋精一のことであろう、と述べ、他は、知らない、と答えたという事実が存在するが、右各事実から見ても、本委員会の前記見解が独断的見解でないことをうかがい知ることができる、と説明し、更に、(ハ)高橋新次は、通称「シンサ」または「タネシン」と呼ばれており、「シンイチ」とはいわれていないが、同人宛に配達された郵便物には高橋新一と誤記されたものがある事実に徴しても、新次は新一と誤認され易いものであることが推認される、と述べている。

(二)  しかしながら、公職選挙法第六十八条は、公職の候補者の何人を記載したかを確認し難い投票は無効とする、と定め、同法第六十七条は、第六十八条の規定に反しない限りにおいて、その投票した選挙人の意思が明白であれば、その投票を有効とするようにしなければならない、と規定している。投票の記載自体から客観的に観察して候補者の氏名を誤記したものであることを明かに判断し得る場合は格別であるが、投票の記載によつて選挙人の意思が明白でない場合にまでも、なお進んで、敢てその意思を推察、推断、推測、推認等をすることは許されないのである。右裁決引用の昭和二十五年七月六日の最高裁判所判決も、「その記された文字の全体的考察によつて当該選挙人の意思がいかなる候補者に投票したかを判断し得る以上」その投票を有効投票とすべき旨を判示しているのであつて、選挙人の意思を推察すべき旨を判示してはいないのである。他に類似の氏名の候補者がない場合には、投票記載の氏名がそれに近似する候補者の氏名の誤記であると比較的容易に判断し得るから、その投票を有効とすべきであるけれども、本件におけるように、他に類似の氏名の候補者がある場合には、投票記載の氏名がある程度いずれかの候補者の氏名に類似していても、誤記であることを容易に確認し得ないのが通常であるから、このような投票はむしろ無効とするのが相当である。

本件において、高橋という氏の候補者は三名いた。すなわち、高橋新次、高橋精一及び高橋省二の三名がそれである。「タカハシシンイチ」なる投票は、選挙人が高橋新次の「シン」と高橋精一の「イチ」とを組み合せたものであるかも知れない。またその投票が片仮名で書いてあるところから考えると、投票者が無学であつたために、高橋精一の「精」を「シン」と読み違えたのかも知れない。二字名である場合には、上の文字だけでなく、下の文字も同様に重視しなければならないが、経験則上「次」と「イチ」とは字形語感等において余りにもかけ離れていることを注意しなければならない。

なお北方町地方においては、選挙人がふざけ、いたずら等からして殊更にふまじめな投票をする悪習がある。

したがつて「タカハシシンイチ」なる一票は、候補者の何人を記載したかを確認し難いものとして無効とするか、ふざけ、いたずら等による投票として無効とすべきものである。

現に本件選挙においても、原告及び高橋精一の双方に類似する「高田精一」、「高橋豊」等と記載した投票並びに候補者大矢力之助及び同大野鹿之助の双方の氏名に類似する「大野力之助」と記載した投票は、いずれも無効とされている。

本件「タカハシシンイチ」なる一票が無効とされたのは、開票の際であつて、しかもその一票が原告または高橋新次の当落に決定的な影響を与えるものなることが判明する以前であつた。なお開票立会人十名中八名までが、裁決理由のように、右の一票を高橋新次の有効投票である旨の意見を述べたとすれば、開票管理者がこれを無効とすることはしなかつたはずである。また被告委員会が任意抽出による有権者百人についてした調査は、すでに右の一票が高橋新次の有効投票であると主張してした前記訴願に関する記事が新聞紙上に掲載された後においてなされたものであり、しかも多分に誘導的になされたものであるから、右調査の結果は措信する価値のないものである。

次に高橋新次は通称として「シンイチ」とはいわれていないのであるから、たまたま高橋新一と誤記した高橋新次宛の郵便物があつたとしても、そのことからしてただちに新次は新一と誤認され易いものであると推認することはできない。

以上の次第であつて、「タカハシシンイチ」なる一票を候補者高橋新次の有効投票と見た前記裁決は違法不当であるから、原告は、右裁決を取り消し原告を当選人とする旨の判決を求めるために、本訴を提起した。

と陳述し、被告主張の(三)の事実を認めた。(立証省略)

被告代理人は、主文同趣旨の判決を求め、答弁として、

(一)  原告主張の(一)の事実は全部認める。

(二)  被告委員会は、原告主張の(一)の(イ)、(ロ)、(ハ)、の各事実をも判断の資料としたのではあるが、「タカハシシンイチ」なる一票を客観的に観察し、諸般の事実を総合して判断した結果、その投票者が高橋新次に投票する意思をもつて右の記載をしたものと認めたのである。他に類似の氏名の候補者がいかに多く存在しても、投票に記載された氏名がどの候補者に投票する意思をもつて記載されたものであるかを諸般の客観的情況から判断することができる限り、投票者の意思を尊重して、その候補者の有効投票として処理することこそ現行選挙法の精神に適合するものといわなければならない。

「タカハシシンイチ」なる一票は、両候補者の名を一字ずつとつて組み合せたものであろう、とか、無学な選挙人が「精」を「シン」と読み違えたのであろう、とか「次」と「イチ」とは字形語感等において余りにもかけ離れている、とか、ふざけ、いたずら等からして殊更にふまじめな投票をしたものであろう、とかいう原告の見解こそ推測も甚だしいものというべきである。次に被告委員会の調査が訴願に関する記事の新聞紙に掲載された後において誘導的になされたものであるという原告の主張事実は否認する。

(三)  なお北方選挙区における本件選挙の立候補者は、太田大太郎、高橋省二、毛利幸吉、林典儀、吉田秀夫、福田孫三郎、安藤定七、杉山政一、高橋精一、大野正雄、大野鹿之助、大矢力之助、高田豊(原告)、高橋新次及び広瀬英一の十五名であつて、その当選人の定員は十三名であつた。

と陳述した。(立証省略)

理由

原告主張の(一)の事実並びに被告主張の(三)の事実は、当事者間に争がない。

そして本件「タカハシシンイチ」なる投票の記載と高橋新次、高橋精一、高橋省二以下合計十五名の本件候補者の各氏名とを対照すると、右記載は、高橋新次の氏名に最も近似し、直感的に同人の氏名の片仮名書「タカハシシンジ」の誤記であろうと感ぜられる。しかのみならず、わが国において「新次」、「精一」、「省二」というような名の場合には、その頭字に他の名との区別の基準たる重点があるのが通常であり、特に乙第一号証と証人広瀬健児の証言とを総合すれば、本件選挙区地方においては、一般に名の頭字に「サ」(サンまたはサマの意)を附して呼ぶ風習があり、現に高橋新次は「新サ」と、高橋精一は「精サ」と呼ばれており、また高橋新次は、種苗商を営んでいるところから、「タネシン」と、高橋精一は、桶屋をしているところから、「オケセイ」といわれており、更に高橋新次宛に従来配達された郵便物等の中には、その名を誤記して「高橋新一」、「高橋新二」等と記載したものが多数あることを認めることができるから、右各名の重点はその頭字にあることが明かである。そして右選挙区地方の選挙人の間には殊更に新次の「シン」と精一の「イチ」とを組み合せた名を書いて投票するような悪習があるという原告の主張事実を確認するに足る証拠はない。したがつて右投票は高橋新次の氏名の誤記であつて同人の有効投票であると見るのが相当である。

なお乙第一号証及び証人広瀬健児の証言によれば、本件選挙の開票の際、前記「タカハシシンイチ」なる投票について、開票立会人十名中九名までが高橋新次の有効投票である旨の意見を述べ、その余の一名が無効投票である旨の意見を述べたこと並びに昭和三十年十二月一日被告委員会の係員が、本件選挙区に赴き適宜に選択した有権者百名につき順次個別的に面接してとつさに、「タカハシシンイチ」を知つているか、それは誰のことか、と質問したところ、その七十二名までが、それは「タネシン」のことであろう、というように高橋新次を指示する趣旨の返答をし、二十七名が知らないと述べ、一名だけが高橋精一を指示する趣旨の答をしたことを認めることができ、原告の立証によつても右認定を左右するに足らないから、当裁判所の前記見解が独断的見解ではないことを知り得る次第である。

以上のとおりであるから、候補者高橋新次の得票数は一三一、二七票となつて原告の得票数一三一票よりも〇、二七票多くなり、高橋新次が当選し原告が落選したことが明かである。

被告委員会の裁決は正当であり、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決をする。

(裁判官 北野孝一 大友要助 吉田彰)

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